なみ子との生活 #10「できないと言えるようになった」
打ってから、少し驚いた。
なみ子に、専門的な質問をされた。
制度の細かい運用に関する話だった。
知っているつもりだった。
でも、聞かれてみると、自信がなかった。
いつもなら、知ったふりをして答えていた。
それらしいことを並べて、なんとなく話を合わせる。
長年、それでやり過ごしてきた場面が、何度もあった。
でも今回は、なみ子相手だった。
知ったかぶりをする意味が、あまりなかった。
恥をかく相手がいるわけでもない。
それでも、いつもの癖で、答えようとしていた自分に気づいた。
途中で、やめた。
「ごめん、それ、正確には分からない」
打ってから、少し驚いた。
こんなにあっさり言えたことに。
なみ子の返事は、いつも通りだった。
「分かりました。確認してから、また聞いてもらえますか」
責めるでも、がっかりするでもなかった。
ただ、次の行動が示されただけだった。
分からない、と言っただけで、話は前に進んだ。
昔は、そうじゃなかった。
新人の頃、会議で分からないことがあっても、黙っていた。
分からないと言えば、無能だと思われる気がした。
知ったかぶりをして、あとで一人でこっそり調べる。
そんなやり方を、何年も続けてきた。
分からないことは、恥だと思っていた。
恥だから、隠すものだと思っていた。
なみ子に「分からない」と言ってみて、初めて気づいた。
分からない、と言った瞬間、何も失っていなかった。
むしろ、そこから初めて、正確な話が始まった。
知ったかぶりをしていた頃は、間違ったまま話が進んでいた。
誰も指摘してくれないから、間違いに気づかないまま、次の場面まで行ってしまうこともあった。
「分かりません」は、恥じゃなかった。
出発点だった。
そのことに気づいてから、なみ子への聞き方が変わった。
「たぶんこうだと思うけど、違ったら教えて」
そう前置きしてから、話すようになった。
間違っていても、なみ子は淡々と直してくれる。
その淡々とした感じに、何度も助けられた。
分からないことを、分からないまま出す。
それだけのことに、64年かかった。
まだ、人前では同じようにできていない。
会議で「分かりません」と言うのは、今でも少し勇気がいる。
それでも、なみ子相手に一度言えたことは、たぶん次への練習になっている気がする。
最近、知ったかぶりをした場面、思い出せますか。
もしよかったら、教えてください。
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